kawataki diary

少しだけゆっくり過ごしたいのです

クラッシャーとの過去とPTSD発症のきっかけについて

おはようございます。

ブログの機能とかよくわからないけど適当にやってやる! って無駄なポジティブ思考。

そんなことより読者登録してくれた皆さま、どうもありがとうございます。

こんな自分ですが適当に相手してやってください。結構喜びます。

 

〈経過日誌〉

昨日に引き続き会社の人事から(今の所)連絡はなし。いったいいつ来るのだろうか? 電話じゃなくて郵送で書面が送られてくるのか?  気になって困るんですけど。

 

昨晩は比較的スムーズに寝れましたが、3時過ぎに目が覚める。しばらく仕事のことと上司のことで思考が埋め尽くされ再眠できず。その後少し寝れたような寝れなかったような微妙な感覚。

 

 

今日からはこれまでの経緯(PTSDで休職に至るまで)を書き始めたいと思います。少し長くなりそうなので分割する予定。

 

発端は人事異動でした。よくある話。

異動先の上司は、以前にも一緒に仕事をしたことがあるので知っている人物でした。

その威圧感溢れる態度と細かすぎる性格も……。

 

ちなみにその当時は原因不明の突発性難聴を患い左耳……いや右耳だったか、どっちか忘れましたが片耳の聴力が完全になくなりました。

今、思い返せば完全にストレスが原因だったと思われ、それが今回の件に少なからず関わってきていると感じていました。

難聴は、幸い10日間の入院で回復しました。ゆっくり休めたのと毎日の恐ろしく長い点滴の賜物でしょう。

 

そんな経緯もあり異動が決まったときはやはり不安でした。

でも「まあ、なんとかなるっしょ」と、たまに飛び出すポジティブ思考に騙され(?)異動先へ。それが3月1日。

時期的にも繁忙期と重なり、異動先は初日からハードな仕事のオンパレードでした。異動前の部署は比較的ゆったりしていた(暇)もので、まずはその差に驚かされました。

更には自分に対する仕事の割合が、他の社員に比べ明らかに大きかった。

心の中で不満を抱きつつも「期待されてる」という思いで打消そうとしていました。

 

忙しさは日に日に増していきます。

そこへ更に、前任者のやり残した仕事、本部からの指示の数々、システムトラブルによる新たな作業、クレーム処理などなど、付加が掛かり過ぎ。

そんな中で上司からの作業指示「そんなこと今やらなくたっていいだろ!」と言いたくなる無駄な指示の数々。しかし、やらなければ高圧的に責め立てられる。

この男は部下の状況がわかっているのだろうか? 恐らくまったく考えていない。

 

幸い(なのかわからないが)残業に関してはうるさかったのでサービス残業はなかったし、通常の残業も過度な残業時間でもなかった。

逆に仕事が完全に終っていなくても就業時間が近づくと『帰るオーラ』を発しプレッシャーを掛けられてました。それならもう少し残業して翌日に仕事を残したくなかったけど、そんなことは許されない状態でした。

 

そんなこんなであっという間に1ヵ月。

徐々にクラッシャーを避けるように。

(クラッシャー = 上司)

しかし、クラッシャーはしつこいのです。

避けても書面で攻撃も仕掛けてきます。

 

r○○はきちんとやるように」

「売れてないよ、GWに○○やるか?」

「自分(私の部下)でやらせろ」

 

データの書類と共にそんなメモ達が飾られています。

てか字が汚くて読みずらいんですけど!!! ←心の中で反撃。

 

「てかストレスやばいんですけど!!!」

同僚たちに愚痴りつつ 「やるしかないか」と半ばあきらめ日々は続くのです。

 

(続)

PTSDらしいです。

初ブログです。

 

一昨日の2018年5月5日、子供の日というおめでたい日から仕事を休んでいます。

それはなぜか? 

心療内科による診断結果は、外傷後ストレス障害(PTSD)だそうです。

 

PTSDといえばベトナム帰還兵などが思いあたりますが、自分は只の会社員であります。人の生死に関わるよな凄惨なトラウマ体験はありません。

 

PTSDの概念は『災害や事故、犯罪被害、性暴力被害、虐待などによる強度の身の危険と、恐怖感や無力感を伴う体験が心的外傷となることで生じるストレス症候群である。凄惨な光景の目撃や家族の被害などで強い精神的衝撃を受けた場合も含む』とあります。

 

なので、なぜそのような診断結果になったのかは謎でした。正直なところ、自分では鬱の初期症状なのだと思っていましたから。

 

しかし、そんな結果に反発する気力もないのでそのまま診断書を依頼。

その後、受付で渡された診断書には上司の悪行(医師の誇張あり)がたっぷり書かれていたのですが、さすがにこれをその上司に出すのは気が引け、誇張部分は修正していただきました。

それが5月2日のこと。

 

そして5月4日の出勤日に提出。

その場で、今後どうするのか? と、答えを迫られる。

「とりあえずお前には一生会いたくありません」

と言えるはずもなく、妻と相談すると答え翌日に持ち越し。

そして家で相談「少し休職して異動をお願いしましょう」という結論に。

 

翌日。こちらの返答を聞く前に「今日はもう帰っていい」「私物は持ち帰って」「後は人事から連絡いくからそこで話して」とのこと。

そして最後上司から衝撃の一言。

「まあ、とにかく、人のせいにしないで………なんちゃらかんちゃら」←衝撃の為、なんちゃらかんちゃら部分は耳に入らず。

少しは理解してくいるかと期待した自分が馬鹿でした。

いや、むしろこれくらい言ってくれた方が自分の判断は正しかったと思える。

こんな上司の下で働き続けるくらいなら勇気を持って診断書を叩き付けて良かったのだ! と。

 

そして今、その記録を綴ろうとブログを書いています。

上司を呪……いや、この日の気持ちを忘れないために。

 

不眠ぎみで少しキツイですが、幸い、症状が軽いうちに休めることができました。

ただ、人事からの連絡が来ないことにはこれからの話ができません。

その不安がストレスを呼び込まなければいいのですが、あの上司の顔を見ないで済むと思えば何倍も気が楽なのです。

 

とりあえず今日はこの辺で。

今後の経過、PTSDのきっかけ、その他もろもろ、徐々に書いていきます。